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最高裁判所第二小法廷 平成3年(あ)1236号 決定 1993年5月18日

本籍

東京都中野区江古田一丁目二六六番地

住所

同杉並区荻窪五丁目三〇番一二-一一〇二号

会社員

片桐忠夫

昭和一七年八月二九日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成三年一〇月三〇日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人西山彬外二名の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 木崎良平 裁判官 藤島昭 裁判官 中島敏次郎 裁判官 大西勝也)

平成三年(あ)第一二三六号

○ 上告趣意書

被告人 片桐忠夫

右の者に対する所得税法違反被告事件についての上告の趣意は、左記のとおりである。

平成四年二月四日

主任弁護人弁護士 西山彬

弁護人弁護士 萩原太郎

弁護人弁護士 赤松常夫

最高裁判所第二小法廷 御中

第一 審理不尽、事実誤認の主張

原判決は、同判決書別紙一覧表記載のサンエーライフサービス関係の所得税法違反事実(以下、この事実のみを便宜「本件」と略称し、また、同事実の受取謝礼金等を「本件謝礼金」というものとする。)についての弁護人の事実誤認の主張に対し、論旨は理由がないとして第一審判決の認定を維持したが、これは、

<1>弁護人がその争点としたところを、敢えて無視ないし軽視し、

<2>この点に関する証人尋問及び被告人質問の証拠請求をともに却下した上、

なされたものである。原審のこのような措置は、以下に詳言するとおり、重大な審理不尽の違法をおかし、ひいて、重大な事実誤認を招いたもので、その判決を破棄しなければ著しく正義に反する場合に当たると思料される。

よって、貴裁判所に対し、刑訴法四一一条一号及び三号の適用による原判決の職権破棄を求める。

一 原審における争点

(一) 本件に関する第一審判決は、本件謝礼金を被告人の所得と認定したが、サンエーライフ名義で取得されたこれらの金員が何ゆえ被告人に帰属し、その所得とされるものであるかについては、控訴趣意書(四頁)でも述べたように明確にしていない。ただ、その《罪となるべき事実》欄の「被告人は…知人に会社を設立させて、それを業者からの金員の支払先としてや、それら金員で自ら獲得した不動産の名義人として利用するなどして、自己の…収入の事実を隠蔽する方法により、所得を秘匿した」との説示がこれを示すものとも解せられないではないが、この事実摘示、あるいは、検察官の冒頭陳述における「(被告人は)三上邦和にサンエーライフ株式会社を設立させ、同社を被告人が受領する謝礼金の名目上の受領先とし、更に、これを利用して同社名義で不動産を取得する等、同社を被告人の所得の秘匿、簿外資産の管理先として利用するようになった」との主張では、(a)謝礼金の授受を、税法講学上のいわゆる「仮装行為」と考えているのか、(b)または、その授受に所得税法一二条の実質所得者課税の原則を適用しているのか、いずれとも明らかでない。したがって、弁護人としては、やむを得ず、この両面から事実誤認の論旨を構成せざるを得なかったのであるが(控訴趣意書五頁以下参照)、いずれの理由によるにしても、本件謝礼金は、サンエーライフ固有の所得と考えるべきであり、第一審判決の認定は事実誤認に当たる旨主張した。

(二) ところで、弁護人が、第一審判決と異なり、本件謝礼金がサンエーライフに帰属すると考える主たる法的根拠は、被告人(要約者)と、オーシャンファームないし松竹エンタープライス(諾約者)との間に取り交わされたサンエーライフを受益者とする「第三者のためにする契約(ないしその亜型)」によるというものである(原審で提出した釈明書参照)。

そして、弁護人が第一審判決に対する反論として具体的に強調したその理由は、(控訴趣意書を要約しつつ再説すれば)次の諸点であった。

1 サンエーライフは被告人と法律上無関係の独立した株式会社であり、決して被告人の替え玉(ダミー)的存在ではなかったこと

すなわち、同社は、昭和六〇年後半ころ、前記三上邦和が不動産業をやりたいというので、同人と若梅明(弁護士)と被告人(いずれも明治大学法学部在学中の同級生)とが相談の上、同六一年二月、三人が同額(一人五〇万円)を出資し、三上を代表取締役として設立したものである。被告人としては、三上の協力を得つつ、自己資金で完全に自己の支配下にある会社を設立したかったのであるが、三上自身も資金を出すというので、このような形態にした。しかし、その後、三上が集めてくる仕事はさして伸びず、被告人によってもたらされる仕事が多くなると予想されるに至ったので、いわゆる一人会社的なものと誤解されることを避けるため、被告人は株主の地位から退くこととし、株式はすべて三上に売却した。役員(兼従業員)は三上の親族で占め、ただ女子社員として若梅弁護人の知人を入社させていた。これらの者たちの報酬は、三上が一存で決めており、なお、同社の税務事務は、若梅弁護士の紹介による税理士に依頼し、当初から完全申告納税を実行していた。したがって、サンエーライフの経理は同会社独自のもので、また、本件謝礼金は同会社で特別に区別して管理されてはおらず(三上の平成二年二月二一日付検面調書<本文四一丁の分>第四項。以下、検面調書については、二・二一検面調書4などと日付及び項番号のみを略記する。)、その預金口座に他の収入と区別されることなく預け入れられ、かつ、引き出しも自由であった。

このように、同社は、被告人の一人会社でないことはもちろん、役員の立場で被告人が自由に操作できる会社でもなかった。

2 被告人には、サンエーライフに入った本件謝礼金についての法律上の管理処分権限は一切なかったこと

第一審判決が証拠として挙示している被告人及び三上の各検面調書には、本件謝礼金の授受について、「サンエーライフの名義を借りた」、「被告人に名義を貸した」とか、被告人がサンエーライフを「金庫代わり」に使ったというような供述が頻繁に出現するが、これは検察官の意図むきだしの供述記載に過ぎない。むしろ、真の事実関係は、本件謝礼金は直接サンエーライフに帰属するもので、ただ、後日被告人の請求があったときには、同社としては相応の利益を被告人に還流してやるという負担を負っていた、と見るのが正しく、被告人は本件謝礼金に対して法律上の管理処分権限は一切有していなかったものである。このことは、次の諸事実(ⅰないしⅲ)から十分認められる。

ⅰ 本件謝礼金の運用は、すべてサンエーライフ名義でなされ、したがって、預金利子等はみな同社に帰属していたし、社員の給料等もその中から支払われていた。

ⅱ 他方、昭和六一年中にサンエーライフが購入した物件は、次表のとおり

【表一】

購入月日 所在地 物件名

<1>三・一八頃 新宿区新宿一丁目 ルネ御苑プラザ一四〇四

<2>七・一四頃 港区赤坂二丁目 ネオキャステール四〇一

<3>七・三〇頃 中野区鷺ノ宮二丁目 日神シルバーパレス鷺ノ宮四〇二

<4>九・六頃 河口湖町小立 スポルシオン一〇〇四

<5>一一・一一頃 ハワイ州ホノルル市カラニアナオレ 土地

<6>七・二一頃 自動車(ベンツ)

であるが、

(a)その名義は、すべて明確にサンエーライフ名義とされており、権利証もサンエーライフにおいて保管していた。もちろん、これらを担保に入れることも可能で、現に、右の<1>のルネ御苑プラザ及び<2>のネオキャステールにつき、根抵当権が設定された。

(b)また、同<1><2>の内装工事は、当然サンエーライフにおいて実施し、前者は他に賃貸したこともある(ただしその賃料について、被告人との共同帰属の扱いにしたことはあるが、被告人に全部を帰属させたことはない)。

(c)右物件のうちの、<3>の残代金や<4><5>の購入代金は、サンエーライフ自身の銀行借入れ金(七四〇〇万円)や、本件支払い金とは関係なく独自に取得した金等同社の固有の資金によってまかなわれている(被告人の二・二五検面調書、三上の前掲二・二一検面調書)。

(d)表一の各物件の購入、維持、処分について、被告人は個別的な指図を与えているが、これは、あくまで外部からの間接的な経済支配であり、法的な権利に基づくものではなかった(いうならば、オーナー的支配ではなく、スポンサー的支配であった)。

ⅲ 国税当局の調査を受けたとき、及び、公判に入ってから、被告人とサンエーライフの三上との間に、それまでの取引の清算が協議されたが、その際、三上は本件謝礼金等の運用益について独自の権利を強く主張している(前者の場合につき三上の二・二三検面調書、後者の場合につき第一審第七回公判における被告人の供述・弁七号証参照)。

3 サンエーライフの昭和六二年の法人税の内容には、本件謝礼金と全く同種の謝礼金であるのにもかかわらず、同社の所得として承認されていること

すなわち、右法人税の内容には、次表の取引がその対象に含まれている。

【表二】

年月日 受領金額 取引物件 支払い先

<1> 六二、三、三 二四二〇万円 品川区五反田 ヴェラカンパニー

宅地五〇五、七六m2

<2> 同一〇、二七 二二一七万円 武蔵野市関前 初穂

土地建物八二五、一八m2

しかるに、この二つの取引は、いずれも本件謝礼金の各取引と全く同一の形態で行われ、掲記の各金額はそれぞれサンエーライフ名義で受領されたものである。したがって、本件謝礼金が被告人の個人所得を構成するものであるならば、右表二の受領金も被告人の個人所得とされなければ首尾一貫しないはずである。結局、税務当局としては、本件謝礼金を被告人の所得と見ることは、必ずしも一義的に明らかなものではなかったと思われる。

と、以上のように主張した。

二 原判決の認定とその問題点

(一) 原判決は、その二枚目裏初行目から六枚目表一〇行目にわたり、証拠に基づく認定を行い、そして、同一一行目において、

「以上の事実を認めることができ、所論も大筋においては右事実関係を認めて争わないところである。」

とした。

しかし、この認定事実のうち、

1 「被告人が受領すべき謝礼金等を同社が代わって受け取り、これにより被告人からの指示に従い不動産を購入するなどしてもらうことの承諾を取り付けた…」「三上に指示して、同社に蓄えられた資金で不動産を購入させるなどしていた」という点(五頁末行~六頁二行目)は、上述のところから明白なように、原審で、弁護人の最も争いたいとしていた点であり、このような原判決の認識は誤解をおかしているか、甚だ雑な見方であるといわなければならない。

2 次に、原判決が右認識の下に、本件謝礼金は、被告人がサンエーライフに「代理受領」させたもので、以後その金員は被告人がサンエーライフに、保有させ、管理・運用を委任していた、と結論づけているのは、次項で詳述するとおり、大きな誤りであるが、同時に、それは弁護人にとって一種の「不意打ち」であったことは否めない。というのは、サンエーライフが被告人の代理人として本件謝礼金を受領したとする主張は、第一審の審理過程では一度も論じられたことはなかったからである。もともと本件謝礼金については、検察官あるいは第一審判決の見解にしたがえば、名義と実体とが乖離している場合であるから、これを被告人の所得というためには、冒頭に述べたとおり、仮装行為によると考えられるか、実質所得者課税の原則によると考えるのか、また、前者としても、サンエーライフが本件謝礼金を受け取ったのは、被告人の代理としてか、単なる使者(道具)としてかを明らかにしなければ、被告人、弁護人としては十全な防御体勢はとれない。ただし、それを訴因の記載事項とするまでの必要はなく、争いがある場合に、検察官の釈明または冒頭陳述で明らかにすれば足りるものであろう。したがって、本件では、この点は、第一審においては争いがないとして推移したのであるから、特に明らかにされなくてもよい事案ではあったが、しかし、これを争うに至った控訴審では、また別に考えられるべきであった。

実は、この点について、弁護人としては、検察官は、サンエーライフの三上が本件謝礼金を受領したのは被告人の代理人の立場としてであるとは主張していないものと理解していた(釈明書三頁参照)。なぜなら、「名義の貸し借り」「金庫代わり」というような検面調書の記載や、「謝礼金名目上の受領先」というような冒頭陳述から連想される態様は、使者(道具)と見るほうがふさわしいと思われるからである。したがって、原審においては、サンエーライフはそのような使者(道具)には該当しないことを強調する態度をとった。そのためかどうかは明らかではないが、原判決も、さすがにサンエーライフの立場を被告人の単なる使者(道具)と見ることには躊躇を感じたのであろう。やむなく、上述のように、入金については代理(そして、その後のことについては委任)という論法を用いざるを得なかったのかもしれない。しかし、いずれにしても、第一、二審を通じ、代理や委任などの用語は一度も検察官側から主張されたことはなく、裁判所もまた、これを攻防の対象とはしなかった。したがって、原判決の認定には意外な感を受けたところであった。ただ、代理と道具との概念の親近感に照らすと、それ自体では、例えば最高裁昭和五八年一二月一三日第三小法廷判決(刑集三七巻一〇号一五八一頁)の示唆するような違法とまではいえないにしても、控訴審としては訴訟指揮上、一考の余地のあったところと思われる。けだし、本件謝礼金を被告人の所得と認めるについて上述のように多義的な解釈が考えられる以上、その論点をしぼりこんでおくのが審理の充実を期する所以であろうからである。しかるに本件において控訴審の終局判決に至ってこの論点が明確になったというのでは、あまりにも遅きに失するといわなければならない。そして、原審がこの配慮を欠いたことが、次の(二)に述べるような誤りをおかす縁由となったと十分考え得るところである。

(二) ところで、右(一)の点もさることながら、原判決が、被告人はサンエーライフに本件謝礼金を代理受領させていた旨認定したことは、重大な誤認として、到底承服することはできない。

なるほど、原判決挙示の証拠から、原判決の右のような認定が一応可能であることは、第一審で争わなかった事案であってみれば、当然であろう。しかし、それ以上、あるいは、少なくともそれと同等の確からしさをもって、原審で弁護人が主張した「サンエーライフを受益者とする第三者のためにする契約(ないしその亜型)」が成立していたとの認定も可能であったと信ずる。まして、弁護人が原審で請求した証拠調べ(別添「事実取調請求書」記載第一の証人尋問及び第二の被告人質問1~3項)を実施しておれば、そのことは、より確定的に判明したはずである。ところが、原審はこの証拠調べを敢えて回避し、弁護人の主張を一蹴してしまったのである。

原判決は、このような、弁護人の主張が採用できない理由について、「前示認定の本件事実関係に照らし、採るを得ない」というほか、あまり具体的な説明を加えていない。ただし、

1 オーシャンファームや松竹エンタープライスとの間で本件謝礼金が授受されるべき原因関係は、これら両社と被告人との間にのみ存在し、両社とサンエーライフとの間には全く存在しない、との原判示部分(一二頁)は、唯一の説明らしい説明であろう。しかし、いうまでもなく、「第三者のためにする契約」は、要約者、諾約者の自由な意思に基づいて第三者がその権利を受益するもので、そこに何の原因関係があることも必要ではない。試みに、刑法一九七条ノ二の第三者収賄罪を考えてみたらよい。これは、リベートなどをみずからは受け取らず、独立の第三者に給付させることを収賄罪として問責するものであるが、リベートの処分に原因関係があろうはずがない。したがって、本件で前記両社とサンエーライフとの原因関係を問題にするのは結論を先に考えているからとしかいいようがないのではあるまいか。なお、もちろん、要約者と第三者との間には背後に、講学上いわれるところの「対価関係」がある必要があるであろうが、それは、本件では被告人が将来サンエーライフから、後述のような、本件謝礼金を運用して得た利益を贈与、売買等の形で移転(還流)してもらう権利を有しているという関係にあることで足りることである《後記3の第一参照》。いずれにしても、原判決のいう原因関係の問題は、サンエーライフが被告人の代理であったことを何ら裏付けるものでなく、サンエーライフが「第三者のためにする契約」の受益者であるとしても何ら差し支えないはずの事柄である。

また、原判決は、本件謝礼金は、サンエーライフに入金されることによって被告人の所得に帰したもので、その後この「代理受領した金員をサンエーライフに保有させ、管理・運用を委任しているもの」だという(原判決書一三頁)。しかし、ここでも、サンエーライフが独自に自己の財産を処分していると見るのか、それとも被告人の委任を受けて処分していると見るのかを判別するメルクマールが具体的に挙げられているわけではなく。ただ、そうとも見得るというに過ぎない。特に原判決のいうような管理・運用がどのような内容の契約によるものかついては、全く触れられていないので、果たしてそれが被告人の所得の処分行為と見得るものかどうかの検証さえできないのである。すなわち、ここでその委された管理・運用の対象である本件謝礼金は、例えば、

<1>単純に消費貸借の形でサンエーライフに提供されたものなのか

<2>それとも、信託的行為の趣旨で提供されたものなのか

<3>または、もっと自由な処分行為もできる出資の趣旨で提供されたものなのか

などいろいろ考えられ、それに伴いサンエーライフがこの金員で取得した不動産類の所有形式の認定が異なってくるであろうし、ひいて、それらが、被告人の所得の処分と解することと十分整合性をもち得るかの問題が浮上してくるに違いないからである。

ところが、サンエーライフが、前述のように、受領した謝礼金を他の金と混同させ、みずからの名義で不動産類を購入し、これを賃貸し、担保に供するなどした行為からは、右<1><2><3>などと見るより、法律的には、はじめから自分のものであるからこそそうしたと見るのが最も整合性があると思われるのである。

2 また、三上及び被告人の検面調書には、本件謝礼金の支払いが「仮装」であること、その支払いについて「被告人に名義を貸した」「サンエーライフの名義を借りた」というような記述が頻繁に用いられ、また、同社が被告人の「金庫代わり」であったというような記述も少なくない(例えば、被告人の二・一九検面証書7、三上の前掲二・二一検面調書1等)。他方、三上の二・二三検面調書によれば、同人は、片桐の「謝礼金を手数料名目でサンエーライフで受け取り、その謝礼金で片桐の不動産等を購入し管理しておりました。」などとして、サンエーライフは、被告人の財産を信託財産のような形で管理していたかのごとき詳細な供述もしている。したがって、これらの供述は、みな、原判決の認定に一応沿い得るものではある。しかし、これらは一読してわかるように、取調べ検察官の意図に迎合したというか、むしろ、検察官の意図がそのままにじみでたいわば「作られた供述」というべきものであって、これらの検面調書記載の抽象的供述によって、本件の真の権利関係を認定してしまうのは適当でない。このため、弁護人としては、調書作成の事情を明らかにすべく、三上の証人尋問を請求したのであったが(別添「事実取調請求書」第一の二の7項)、原審の顧みるところとはならなかったのである。

3 なお、判文に明示されてはいないが原判決において、本件謝礼金が第三者のためにする契約により直接サンエーライフに帰属したと考えるのに躊躇する原因と考えたかもしれない次の三点について説明しておく。

その第一は、何ゆえ、被告人はサンエーライフを受益者としたか、という点である。すなわち、被告人が自分に対する所得税を免れようとするには、本件謝礼金を全面的にサンエーライフに帰属させてしまうまでの必要はないはずであるから、サンエーライフへの入金は単なる名目だけだと見るのが自然ではないか、という疑問である。しかし、そのときの被告人の本心は控訴趣意書(一五頁)で指摘したように、とり敢えずはサンエーライフを大きく成長させることであった。そこで、被告人としては、本来は自分が受け取れる謝礼金をこの際同社に直接帰属させ、それをもって不動産等を購入させておけば、当時における不動産の異常な値上り状況の下では、同社が多額の運用益を挙げ得ることは必定であり、そうなれば、自分も当然その収益の分与にあずかれると踏む一方、これらの不動産について、自分の必要とする適当な時期に、安値で移転を請求できる権利をも留保しておくことにしたものであった。したがって、このような了解がある以上、本件謝礼金やそれによって購入した不動産の所有名義を直ぐさま自分のものとする必要は少しもなかったのである。(現に、被告人が、今回の国税当局の査察を受けるまで、本件謝礼金からの利益を全く享受していないことは、このような事情を雄弁に物語っているものといえよう。)そうであってみれば、第三者のためにする契約における要約者と受益者とのいわゆる「対価関係」は、前述のように、このような事情の存在をもって十分充たし得ていたと考えて妨げないと思われる。

その第二は、被告人の二・二二検面調書添付の資料3の覚書または三上の前掲二・二一検面調書添付の資料19の誓約書の原本の存在の点である。これも、控訴趣意書(一七頁以下)で詳述したように、本件謝礼金やそれらで購入した物件の名義が仮装のものであることを裏付ける証拠ではなく、右物件の実質所有者が被告人であるとの真の意味は、被告人がこれらの物件について将来名義変更の権利を留保しているという実体をおおまかに表現したものに過ぎないと見るべきである。けだし、その書面の作成日は昭和六一年一一月ころのことであり、このとき、少なくとも、表一<5>のハワイの土地の清算はまだ済んでおらず(その資金の約三分の一に当たる二四二〇万円が被告人からサンエーライフに入ったのは翌六二年三月三日のことである)、しかも、右作成日ころ、被告人の資金繰りが芳しくなかったことは明らかであったのであるから、その当時、三上がハワイの土地を含め、上記物件を無条件に被告人の所有であると認めていたとは到底考えられない。被告人としては、三上がこれらの物件を処分しても法律上文句を言えないという危惧があったため、そのような処分をさせない、あるいは、しないとの趣旨で、被告人及び三上間にかかる書面が作成されるに至ったと認めるべきである。なるほど、この覚書ないし誓約書作成の経緯や意味について、三上は、かつて、表一の各物件は被告人の所有に属すると述べたことがある(同人の二・二一前掲検面調書11)。しかし、公判段階で清算に入ってからの三上の主張や行動はこれと大いに矛盾していたことは、前述したとおりである。

その第三は、被告人とサンエーライフとの間には、当初から、「名義貸し料」として月々被告人から二〇〇万円を供与する約束が成立していたかのように思われる点である。被告人の二・二二検面調書9、三上の前掲二・二一検面調書3にその旨の供述記載がある。しかし、これが履行された形跡はなく、むしろ、平成二年になって、国税当局の調査が行われた結果、両社の関係が解消する際、三上からこれを持ち出し清算に含めてもらったようであるが(三上の二・二三検面調書3)、それまで四七カ月間、「名義貸し料」の問題が浮かび上がってこなかったのは、本件支払いの実体が必ずしも名義の貸し借りという、形だけのものではなかったことを裏書するものということができると思われる。

4 以上の諸点を明確にするため、弁護人は、原審において、三上の証人尋問及び被告人質問を申請した。しかるに、原審がこれを採用することなく、弁護人の主張を排斥し、証拠不十分のまま、本件謝礼金はサンエーライフが代理受領したものでその後の不動産購入等は被告人に帰属した所得の処分に過ぎないと断定したのは、いわば「問答無用」の態度としかいえないのではあるまいか。

5 なお、原判決は、昭和六二年中において、本件謝礼金と同様の形態でサンエーライフに入金された謝礼金について、税務当局は同社の所得と認定しているではないか、との弁護人の主張に対し、<1>この謝礼金の申告は、被告人が査察が自分に及ぶことを恐れて三上に指示したものであり、また、<2>この申告について税務当局がどの程度の調査検討を加えたか不明であるので、必ずしも本件謝礼金を被告人の所得と見ることの妨げにはならない、という(判決書一四頁)。しかし、<1>の点は、税務当局の措置がいかなる判断によるものかをうかがい知る材料になるものではない。そして、<2>の点は、税務当局の認定などは、俗にいう「適当なもの」で参考にならないと言わんばかりの理由である。推測するに、同年度においては、サンエーライフは従前よりかなり多額の九〇〇〇万円の納税を行っているので、税務当局はそれで満足したのかもしれない。しかし、税務行政としてそれでもよいとされるものならば、本件謝礼金についても同様に処置されてもよいわけで、少なくとも、被告人にきびしい刑事責任を問うのは、背理であろう。

ともあれ、原判決は、その間の事実は「不明」とした。だが、もしも文字どおり「不明」なのであるならば、弁護人が「昭和六二年度の法人税申告の実情など」との立証事項(別添「事実取調請求書」第一の二の7項)を掲げて三上の尋問を求めている以上、裁判所としてはこれを容れて、その間の事情を確かめ、必要があれば税務署の担当官にただす等の措置をとるのが筋ではあるまいか。「不明」な事情を被告人に不利な資料にするのは立証責任の原則を紊るものである。

三 控訴審における証拠採否の基準と審理不尽

(一) すでに、たびたび触れたように、原審において、弁護人は、前記一のような事実誤認の控訴趣意を容れてもらうべく、三上邦和の証人尋問と被告人質問との証拠調べを請求した。この立証の趣旨は、上述一の(二)記載の弁護人の具体的主張として挙げた諸事項であって、要するに、サンエーライフの運営・管理・権利関係などの状況、及びこれに関連した三上に対する検察官の取調べ状況についてであった(右請求書参照)。弁護人としては、これらによって、検面調書の記載とは異なる両人の真意やそれに沿う客観的事情が浮かび上がることは確実であろうと思料していた。しかも、その片鱗は、すでに、原審第七回公判における被告人の供述として記録上現われていることも指摘しておいた(控訴趣意書二七頁)。

しかるに、原裁判所は、右いずれについても、請求を却下した。

その理由は、公判調書には記されていないが、両証拠とも、<1>刑訴法三八二条の二の一項にいう「やむを得ない事由」はなく、同法三九三条一項但書の義務的取調べの場合に該当しない、そして、<2>弁護人の具体的主張は、第一審記録に現われている事実自体によって判断できることであるので、職権裁量による証拠調べも必要ないというものであった。

その結果、弁護人としては、事実誤認の主張のための新たな証拠としては、僅かに、サンエーライフの商業登記簿謄本、同社の確定申告書、前記ルネ御苑プラザ・ネオキャステール赤坂の各登記簿謄本という形式文書のほかは、全くこれを封じられた形で、判決を受けることを余儀なくされたのである。

弁護人は、原裁判所の右のような決定に接し、その<1>の理由は第一審で事実関係を認めていた以上承服せざるを得ないとしても、<2>の理由については控訴審における証拠の取調べについて極端に制限的であり過ぎるのではないかとの所感を抱いた。しかし他方、第一審証拠だけであっても、これに精察熟考を加えてもらえば、弁護人の事実誤認の主張を容れられる余地は、なお期待できないではないと考えた。

しかし、その期待は、完全に裏切られたのである。

(二) 一般論として

控訴審は、すでに第一審の証拠を有しているので、それ以上いかなる証拠を取り調べ得るか、また取り調べるべきかを決することは、第一審の場合と異なり、かなり複雑になる。結局、控訴審の構造をどう理解するか、あるいは、証拠の第一審集中主義と真実発見主義ないし具体的妥当性のどちらに比重をおくかにかかっているといっても大過ないであろう。もちろん、刑訴法三九三条や、最高裁昭和五九年九月二〇日第一小法廷決定(集三八巻九号二八一〇頁)があるにはあるが、具体的な採否の基準を提供しているわけではない。

したがって、原裁判所が弁護人請求の人証をすべて取り調べなかったからといって、特に違法となるものではないと一応は考えられる。しかし、控訴審における証拠の取調べが全くの自由裁量でないことはつとに認識されており、前記最高裁決定に関連し、「証拠を…取り調べなかった結果、重大な事実誤認や甚だしい量刑不当を招来していると疑われるときは、最高裁により審理不尽として問題とされることは、ごく例外にせよありうる…」と解説されているところである(最高裁判例解説・昭和五九年度四一三頁)。この決定は、第一審で取調べまたは取調べ請求のなされていない、いわゆる「新証拠」の事案を対象としたものであったが、右解説がいわゆる「旧証拠」をも含めて、一般的に妥当するものであることは疑いないであろう。

もっとも、それでは、いかなる場合にその審理不尽を来すような裁量の逸脱があったとみるべきかは一概には決し難いであろう。ただ、現在、控訴審における証拠調べの運用は、裁判体により多様で、むしろ『不統一』とも評されてもよい状態にある。これは、もちろん、証拠の採否というものが第一審証拠に対する心証との相関関係によって決められるダイナミックなものである以上、ある程度の不統一はやむを得ないものがある。しかし、それにしても、やはり、裁判体によって著しい寛厳の差があり過ぎることは法的安定を害する(実際、控訴審弁護人はその差への対応に少なからず迷うことがあるといわれている)。したがって、前記判決解説の執筆者が、前掲のところに引き続き「法四一一条一号ないし三号の審理不尽等に関する判例の研究が、裁量の基準、限界を求めるについて参考になると思われる。」として、今後における最高裁の判断に大きな期待を表明していることは、まことに尤もなこととして、同感したい。が、差し当たりの基準としては、「(控訴審において)原審記録以外に取調を必要とするのは、その性質上原判決の基礎とした資料に不備があるか(多くは審理不尽である)、あるいは、原判決の基礎とした資料を上回る証拠価値のある資料が提供された場合にかぎられる。」との考え(平良木登規夫「刑事控訴審」一三二頁)を一層精密化することと愚考している。

(三) 本件の考察

本件は、既述のとおり、第一審における証拠だけでも事実誤認の主張が成立するものと理解する。しかし、仮りに、そこに証拠として未だ不足の面があったとしても、弁護人が第一審後把握することのできた三上及び被告人の自由な立場からの新供述を加味すれば、その誤認の主張は揺るぎのないものとなったであろうと確信できる事案である。したがって、本件は、少なくとも、前掲平良木基準の後段には該当し得ると思われる。しかるに、このような、控訴趣意に沿い得る唯一の人物ともいうべき証人の申請を却下し、被告人に対する質問すらも(情状関係を除き)一切許さなかった厳しい原審の措置は、いかなる動機に基づくものであるか、忖度してみたい。

1 その一つは、事実関係には争いがなく、弁護人申請の証拠を取り調べてみても、事実の認定は変わらないという判断(必要性なしの判断)であったのか。しかし、本件で争いがないというのは、その認識に誤りがあること、そして、もしも申請した証拠を取り調べれば、争いの要点《二の(二)の2でいう論点》がもっと浮かび上がり、当然結論に相違をもたらしたであろうことについては、すでに詳述したとおりである。

2 もう一つは、被告人が第一審で自白しながら、控訴審でこれをくつがえし、無罪を主張することへの批判があったのか。確かに、第一審で被告人は公訴事実全部についてこれを認めた。しかし、弁護人としては、控訴申立てにあたり、本謝礼金の事実関係に関する限り真実に反すると考えた。その経緯は、すでに控訴趣意書(三七頁)で明らかにしたように、本件謝礼金については、それが「実質」サンエーライフに帰属するものという情状論では、被告人の正しい刑責を見いだすことは到底できないことを痛感したからである。

第一審で有罪を認めたにもかかわらず、予想を上回る刑を言い渡されるや、態度をひるがえし、無罪を主張するのは、一般には忌むべきものと考えられている。それは、いうまでもなく一種の投機的訴訟戦術と考えられるからである。しかし、証拠判断上、あるいは法的判断上、犯罪の成立もやむなしと考えて有罪を自認した後、新たな証拠が発見されたり、あるいは審理の経過に照らし前の判断を修正すべきものと確信するに至る場合もないわけではなく、そのような場合などについては、態度の変更については裁判所も寛容であってほしい。(本件では、第一審では、本件謝礼金の事実については、有罪の自認には一抹の疑念を残してはいたが、率直にいって、昨今の令状事務の運用に照らし、その自認がなければ保釈が許されない危惧もあって、敢えて自認した。しかし、訴訟が経過し、公訴事実の線でサンエーライフ関係の清算を進めて行くにつれ、―新たな証拠が出た場合ではなかったが―その疑念は大きくなり、このため、控訴に際し態度を改めるに至ったものである。)

いずれにしても、証拠の第一審集中はどのような場合にでも最高の優先順位にあるものではなく、真実発見との適切な均衡をはかるべきことは、いうまでもない。被告人側の真撃な主張と証拠調べの請求があるにもかかわらず、第一審の証拠以外の証拠をすべて封殺しておいて「原判決挙示の証拠によれば原判示事実は優に肯認できる」との常套文言をもって第一審判決を維持するというのは、事実問題の最終審たる控訴審の存在意義をみずから抹殺するに等しいと評するほかないであろう。

3 その三つは、本件謝礼金に関して、被告人に所得税を免れようとする反倫理的意図が見られることと関係があったのか。確かに、被告人がサンエーライフを利用した行為は国民一般の納税モラルに反しているといわれてもやむを得ない。しかし、そのことと、それが実定税法上の違法行為と評価されるかどうかということとは別問題であり、弁護人としては、被告人の本件行為は、いわゆる「租税回避行為」の範疇に入るものと考えている。

ところで、今回、被告人が採ったような「第三者のためにする契約」という手段で、本来本人の収入になるべきものを第三者の収入になる道を認めると、脱税が野放しになると危惧する向きもあるかもしれない。だが、その契約が文字どおり仮装のものであったり、上記所得税法一二条を適用できるものであれば当然その行為を摘発できるのはもちろんである。しかしながら、それに該当しない限りは、いくら「租税回避行為」と目されても、現行法上はこれを否認する規定がない以上、不問に付さざるを得ないものであり(通説である)、その不備を補うため、事実の認定を変えることは許されない。したがって、本件でいえば、サンエーライフがみずからのものとして受領した本件謝礼金は、素直にそのとおりに認定すべきであるし、十分な証拠を欠くにかかわらず、被告人の代理人として受領したと認定することは不当である。この場合、被告人の所得と見なかったからといって、国の課税権が全く損なわれると心配する必要はない。なぜならば、税は、収入を得たサンエーライフから徴税すればよいからである。また、その契約に随伴する前記「対価関係」として、あとで、被告人に何らかの還流がなされるとすれば、そのときは譲渡所得に当たるとして対応すればよいことである。仮りに百歩を譲って、名義が実質を表わしていないと見るのであれば、正面から実質所得者課税の原則を適用すべきであろう。この原則が罪刑法定主義等の関係から適用が難しいからといって(控訴趣意書二四頁参照)、事実問題でかたをつけようとするのは、これまた邪道というほかない。(原判決に、そのような安易な姿勢があったとは信じたくない。しかし、被告人の行為が、他の脱税事実と相俟って、甚だけしからぬものであるがゆえに、証拠判断の上で、弁護人の主張は、被告人の単なる弁疎を代弁したに過ぎないという思惑らしいものが意識下に潜在し、それと関係して、証拠の排斥が行われ可能性がなかったともいいきれないので、敢えて一言した。)

(四) かようにして、本件は、控訴審における証拠調べの基準にしたがえば、弁護人請求の証人尋問及び被告人質問はぜひとも施行されて然るべきものであった。にもかかわらず、この基準を逸脱した原審の措置は、法律上、審理不尽の違法を構成するものであり、ひいて、被告人の所得でないものを被告人の所得と認定した事実誤認をおかした場合と考える。そして、このような誤認ないし違法は、こと一億六二六〇万円の逋脱の成否に関することであるから、容易に看過できない重大性を有するものである。

よって、貴裁判所におかれては、このような原判決を是正するため、刑訴法四一一条一号及び三号を適用されて職権破棄の措置をとっていただきたく、上告に及ぶ次第である。

第二 量刑不当の主張

一 原判決は、原審における弁護人の量刑不当の主張を排斥し、被告人を懲役二年六月及び罰金一億六〇〇〇万円の各実刑に処した第一審判決を維持すべきものとしたが、これは、刑の量定が甚だしく不当でその判決を破棄しなければ著しく正義に反する場合に当たると思料されるので、刑訴法四一一条二号の適用による原判決の職権破棄を求める。

(一) 所得税法違反に対する下級審の科刑は、近時ますます重くなってきている。それは、脱税犯罪の量と質が憂慮すべき状態にあるため、その抑止を図り、かつ、国民の租税負担の公平感情にこたえるとともに、納税倫理の覚醒を促す必要があるとの刑事政策的考慮に基づくものと推測される。

しかし、逋脱額が三、四億円を超えればほぼ例外なしに(初犯であろうとなかろうと、その他個別事情にかかわりなく)、二年ないし三年の懲役の実刑を科するという現在の裁判実務の運用は、他の犯罪の量刑慣行にくらべてみると、法定刑(五年以下)に比し余りにも厳し過ぎ、バランスを失していると思われる。本件被告人についても同様であると認められるので、原審において、まずその懲役刑の軽減を求めたが、容れられるところとはならなかった。甚だ残念であり、今も、その軽減を求める気持ちに変わりはないが、上告審の性格にかんがみ、当審においては、これ以上の主張はしない。

(二) けれども、罰金刑の内容については、それが刑の目的を逸脱しているものであることを強く訴えたい。すなわち、一億六〇〇〇万円の罰金は、現在被告人のおかれた立場に照らせば、不当に高額過ぎるといわざるを得ないのである。もともと、所得税法二三八条一項の罰金額の上限は五〇〇万円である。にもかかわらず、定額罰金制の残滓ともいうべき同条二項のスライド条項の適用により、現在、五〇〇万円の上限内で言い渡される例は希有のこととなっている。しかし、刑事訴追を受けるような所得税法違反については、別に重加算税が賄課されるのが通例であり、何ゆえ、その上さらに高額の罰金刑が科せられねばならぬのか合理的な説明がつけ難くなっている。したがってもしもそれを適用するとすれば、せいぜい「法人に対して用いられる場合と、ごく例外的に、個人に対して、有罪判決がなされるまでに更正処分や重加算税の賄課がなされておらず、それらがなされる見込みもないときに限られる」、「(運用論として)罰金スライド制は少なくとも個人に対しては原則としてそれを適用するべきではないし、立法論としては、この制度は廃止すべきである」という提言は、もっともなことと思われる(佐藤英明「租税制裁法の構造と機能《五》法協一〇六巻一一号」参照)。

このような立場から、弁護人は、原審において、裁判実務の運用論として、

『すでに、相応の重加算税が課せられているケースでは、

<1>被告人に対し、罰金刑のみを科する場合か、執行猶予付き懲役刑と罰金刑とを併科する場合に限って罰金のスライド条項を適用するものとし、

<2>懲役刑の実刑を言い渡すときは、罰金刑の併科を避けるか、併科にするにしても少なくとも原則どおり五〇〇万円以下にとどめるのが相当ではないか。』

との意見を開陳した。裁判所が、往時、所得税法違反に対し、懲役刑については、通常、執行猶予をもってのぞんでいたときは、このスライド制は特別予防、一般予防いずれの観点からもその意義が認められたのに反し、多額の逋脱犯について懲役刑の実刑を科するようになってからは、何のためのスライドかその目的を失ってしまったと考えられる。したがって、裁判所としては、そのような量刑基準の変化にかんがみ、このスライド条項の適用の再検討が必要だったのである。にもかかわらず、旧来の基準を漫然墨守している傾向にあるのは、甚だ残念なことである。

特に、本件においては、被告人は、重加算税として二億五四六万三〇〇〇円が課せられ、その他制裁的色彩の強い延滞税(金)を合わせれば、本税以外の附帯税が合計約四億五〇〇〇万円にのぼっており、これはまた日に日に増加していっている。このような明らかに資力の乏しい被告人に対し、しかも、刑務所に二年六月服役しなければならない者に対し、さらに一億六〇〇〇万円の罰金を科する理由をどこに求めたらよいであろうか。原判決は、この点の理由づけの一つとして、「重加算税と刑罰とは趣旨、性質を異にする」ことを挙げる。しかし、弁護人が原審において主張したのは、そのような形式的な理由を聞こうとするつもりではなかった。被告人としては、現在、膨大な未納税額を残しており、できる限り早く完納できるように鋭意努力中であるが、格別の資産とて無く、昨今の景気沈滞では四苦八苦の状態である。脱税の利益はすべて剥奪された上、多額の行政制裁にさらされた被告人に対し、これ以上の財産刑を加える合理的な理由が果たしてあるであろうかを、原裁判所に対して問いたかったのであった。

現在、罰金という刑罰と行政罰との関係については、単に租税法関係だけではなく、他の分野でも調整が迫られている。例えば、独占禁止法における罰金と課徴金との関係もそうである。他方、罰金刑のあり方については、法人等の制裁としての両罰規定の適正化を図る面からも問題提起がなされている。『両罰規定における業務主に対する罰金額と行為者に対する罰金額の連動の切離しについて』の論議がこれに当たるが(山本和昭・同名論文、判例時報一四〇二号参照)、この問題は、結局は、行為者個人の資力が法人等とくらべ微少なものであること、行為者個人に対しては自由刑が科せられるならばそれによって犯罪抑止作用がほぼ充たされるものであること、を前提とするものであって、その論議内容は両罰規定の場合に限らず、体刑と罰金刑との併科規定がある場合、これをいかに運用すべきかを考えるについても、多くの示唆を投げかけるものである。

いずれにしても、裁判所は、このような趨勢に想到し、経済事犯における罰金刑の量刑について時宜に適した検討を早急に加えないと、刑の苛酷さだけを国民に甘受させることになってしまうであろう。『一日五〇万円』という換刑処分は、やはり異常といわなければならない。

(三) ところで本件の控訴審判決後、東京地方裁判所は、次のようなかなりユニークな二つの判決を言い渡したという。すなわち、

<1>平成三年一一月二九日判決は、政治家であった某被告人に対する所得税法違反事件(逋脱額約一七億円)につき、同人を懲役三年四月(求刑三年六月)に処したが、罰金刑(求刑五億円)の併科を避けたと報じられている。現段階では、判例集に未登載のため、内容の詳細は明らかでないが、その理由としては、被告人が税逋脱後、資力を失っている点が考慮されたものといわれる。当弁護人としては、資力の無い者に対し、懲役刑の実刑のほかに罰金刑を併科しなかったのは、われわれと同じ思考をとるものであろうと推察し、合理的なものとして評価したいが、しかしながら、罰金刑を科さない代わりに、懲役刑を特別に重くしたというのであれば、問題が残るといわざるを得ない。

<2>平成四年一月一〇日判決は、某不動産会社の法人税法違反事件(逋脱額約一五億三〇〇〇万円)につき、その代表者個人を懲役二年、罰金六〇〇〇万円(求刑懲役三年六月のみ)に、会社を罰金四億円(求刑罰金四億五〇〇〇万円)に処した(判例集未登載)。この判決は、代表者個人の関係で求刑に比し懲役刑を大幅に減じる一方、(その代わりにか)求刑にない罰金刑を科し、かつ、被告人、被告会社の合計罰金額を求刑より超えたものにしている。しかし、個別的情状にもよるとはいえ、もしもこの判決が妥当なものであるならば、これと比較し、逋脱額がその半分にも当たらぬ本件被告人を、懲役二年六月、罰金一億六〇〇〇万円に処するのは、甚だ均衡を失していることになるのではあるまいか。

こうしてみると、税法違反における量刑基準はまだまだ不安定な状態が続くと案ぜずにはおれない。そして、この不安定をもたらす真因は、懲役刑と罰金刑との相互関係について、裁判所の透徹した思想ないし運用基準がしっかり固まっていない点に求められるといっていいように思われる。

三 かくして、現下における税法違反事件の量刑、特に罰金刑の運用は、他の分野の事件の量刑に比して、健全であるとは到底いいがたく、したがって、これに反省を加え、その改革が図られなければならないと考える。ただ、このことを今後における下級審判決の積み重ねに期待するのみでは、それは、目下の事情では荏苒時を待つに等しいであろう。

とすれば、その本格的反省の契機の付与を、弁護人としては、端的に最高裁に求めたい。その最初の案件として本件が選ばれれば幸いであるが、他の案件からの余慶であってもよい。いずれにしても、本件のような重い懲役刑の実刑を科する場合において、すでに多額の重加算税が賄課されているときは、被告人の犯情、財産状態等を考慮し、原則として所得税法二三八条二項の適用は慎重であるべきだとの見解の下に、被告人に対し、懲役刑のみを科するか、五〇〇万円以下の罰金(ただし、刑法四八条二項)を併科するにとどめるかが相当である旨を示唆しての差戻し、ないしはその趣旨の自判をしていただきたく切望する。

平成二年(う)第一二一六号

事実取調請求書

被告人 片桐忠夫

右の者に対する所得税法違反被告事件について、左記のとおり事実の取調べを請求する。

平成三年七月一七日

右弁護人 西山彬

東京高等裁判所第一刑事部 御中

第一 証人尋問 (呼び出し)

一 東京都板橋区本町二〇番の六 キャニオンマンション板橋本町二〇四号

証人 三上邦和

(サンエーライフサービス株式会社代表取締役)

二 立証事項

1 サンエーライフサービス株式会社(以下サンエーライフ)は、被告人と法律上無関係の独立した株式会社であり、その経理は同社独自のもので被告人の経理と混同することはなく、また、本件支払い金は同社で特別に区別して管理されていなかったこと

2 被告人がサンエーライフに月々「名義貸し料」を供与するとの約束は、履行されなかったこと

3 昭和六一年中にサンエーライフが購入した物件等は、サンエーライフ名義とされていた上、その一部にはサンエーライフを債務者とする根抵当権が設定されていたこと

4 サンエーライフが被告人宛に作成した誓約書等の趣旨は、被告人がこれら物件について名義変更の権利を留保していることを表現したに過ぎないこと

5 サンエーライフが被告人に対して負担している債務を確認した弁済契約書の作成経過及びその趣旨など

6 サンエーライフの納税状況及び昭和六二年の法人税申告の実情など

7 証人に対する検察官の取調状況及び検面調書の作成経緯など

8 その他、関連事項

三 尋問時間 約九〇分

第二 被告人質問

一 立証事項

1 被告人がサンエーライフに資金を投下した経緯など

2 サンエーライフの運営・管理・権利関係などの状況

3 前記誓約書等の作成経緯

4 現在の生活状況及び心境等

5 その他、関連事項

二 質問時間 約六〇分

第三 書証

一 サンエーライフサービス株式会社の商業登記簿謄本

(立証事項)控訴趣意書第一点四(Ⅰ)

二 ルネ御苑プラザ及びムオキャステール赤坂の登記簿謄本

(立証事項)同第一点四(3)Ⅱ

三 サンエーライフサービス株式会社の確定申告書

(立証事項)同第一点六(1)(2)

四 税金の納付書等(被告人が原審判決後に税金を納付した状況)

(立証事項)同第二点二(3)

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